2011年05月29日

本日の礼拝

本日は原理復興会でした。

イエス・キリストの生涯という題目で、教会長様がパワーポイントによる講義をして下さいました。

久しぶりに顔を見た方や、親子孫3代で来られた方たちも来て人が溢れ、礼拝堂の椅子が足りなくなり、慌てて台所の丸椅子を運び入れました。


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一昨日のブログで取り上げたナガミヒナゲシですが、知人からナガミヒナゲシはその繁殖力の強さから、生態系を乱す恐れがあるという事を聞きました。

また自治体によっては、群生しているのを保健所に通報すると駆除に来る所もあるそうです。

外見のかわいらしさとは裏腹に、したたかな生命力を持ち合わせているようで、見かけには依らないものですね。

それでもアルカリ性土壌を好むので、植生は限られているようにも思えるのですが、今後は駆除という視点で見ていかなければならないのは、若干心の痛むところです。

知人からは、花と同様に人間でも、外見でごまかされてはいけないという説教めいた忠告までいただきました。

そう言えば、同じ年齢でありながら、常に年上に見られる人もいれば、常に年下に見られる人も居ますね。

大脳生理学的には、その人の外見から年齢を判断する上でのいくつかのポイントがその時代、その民族、その社会でほぼ決まっていて、それに当てはまるか否かでその年齢に対する印象が形成され、そのポイントに合致するか否かで、過去の自分の記憶とすり合わせながら、脳が若いとか若くないとかを判断するそうですので、最近はやりのアンチエイジング的な努力も、そのツボにはまっていなければ結果としては効果的ではないそうです。

外的なものに左右されず、本質で判断しようというのは何事にも共通する話ですが、実生活ではそのごとくに行かないところが、人間の弱さでしょうか、あるいは堕落人間のありのままの姿でしょうか。

それでもそれなりの年齢になると男女を問わず、年齢よりも若く見られたいと思うのが世の常ですので、外見のみならず中身も共に磨き上げるべく、日々精進したいものです。







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posted by とら吉 at 15:54| 東京 ☔| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

梅雨入り

今日から関東地方も梅雨入りだそうです。

しばらく長雨の季節となるのでしょうが、この時期はこれからアジサイが咲き始めますね。

梅雨の時期に晴れると、結構蒸し暑い事が多いので、晴れた日に見るアジサイはどこかくたびれているようにも感じますが、雨の降る中で見るアジサイは少し安堵の表情を浮かべていているようにも思えます。

また、その色合いが何となく儚げで、少しほの暗い雰囲気もあって、少し幻想的に取り上げられる事もあるようです。

私と同じ年齢の歌人、小島ゆかりの歌に

    紫陽花にひねもす眠りゆふまぐれ猫は水色の眸(まなこ)を瞠く

とありますが、猫の瞳の色とアジサイの花の色が対比されていて、抒情的な雰囲気が漂ってきます。

昔からアジサイを謳った短歌は多いそうで、物憂い長雨の季節において、アジサイは様々な思いを巡らせる格好の素材になっているようですね。




紫陽花(あじさい) / yto





ところで昨日テレビでニュースを見ていると、福岡などのホームセンターで間違って栽培してはならないケシを販売していたという報道がありました。

確かにケシは見分けがつきにくい事もありますし、輸入した種の状態で混入している事もあるそうです。

栽培可能なものはポピーとして、その健気な花を咲かせてくれますので、以前私も団地に住んでいた時は、庭に鉢植えで育てていた事もありました。

元来、ケシは繁殖力が強く、飛んできた種から自生して、田舎の川辺などに群落を形成する事もあり、日本でも発見され次第焼却される事が稀にあります。

私の住む街の小川の縁にもオレンジ色のヒナゲシが群生していますが、これは栽培可能種のナガミヒナゲシで、どこからか種が飛んできて自生したものでしょう。

その生命力のたくましさとは裏腹に、いかにも可憐な色合いの、若干控えめな風合いの、少しパステルの混じったようなオレンジ色に、とても気が惹かれてしまいます。

日本人の感性に合う花なのでしょうね。

植物にとっては梅雨の潤いが大切なのでしょうから、神様の創造された自然万物の息吹を雨天の中でも感じられるように、感性を研ぎ澄ませておきたいものです。








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uiri
posted by とら吉 at 18:25| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

コーラの試飲

帰宅途中に度々、コンビニで明朝のパンを買って帰るのですが、元来新製品や季節限定商品と言う言葉には弱い方で、昨日、一昨日と続けて目新しいコーラを購入してしまいました。

まず、一昨日試したのは「ペプシ ドライ」で、甘くないコーラというキャッチコピーにつられて、つい手を出してしまいました。

家族で飲んでみましたが、確かに甘味が少なく、飲み口がすきっとしていると言えばすきっとしているし、普通のコーラを水で薄めたようだと言えばそのようにも感じるし、微妙な味わいです。

それでも今までのコーラの甘さに慣らされていたから、新鮮にも感じました。

それだけ今まで甘味料に慣らされていたのでしょうね。

ただ、飲んだ時間が遅かったのか、夜中に夫婦で何度もトイレに行ったのは利尿作用でもあるのでしょうか。

次に昨日はサントリーの季節商品で「さくらんぼコーラ」を飲んでみましたが、こちらはコーラと言うよりはサイダーでした。

さくらんぼの風味と言われても、若干首を傾げてしまいます。

それでもこれはこれで悪くないと次女が言っていましたので、季節限定商品としてはまずまずなのかもしれませんね。





New leaves / a.drian




ところで甘味の少ないコーラを飲んでいると何気なく、堕落論の講義を思い出しました。

堕落の動機と経路で出てくる「愛の減少感」は、自身が変わらない愛を受けながらも、自分が今まで見たことのないような愛を受けている者と比較して、自身に対する愛がまるで減少したかのように錯覚してしまう事ですが、これはあくまでも錯覚です。

しかし私たちの実生活では、実際に愛が減少する場に臨む事も良くあります。

それでも原理を知る信仰者としては錯覚だけではなく、実際に自分が受けている愛の絶対量が減少してもなお、変わらぬ愛と美を対象に返し続けられる者でありたいものです。

その姿勢があってこそ、サタン的な愛を凌駕し、相手が自然屈服するのでしょうし、その極限の状態が、恩讐をも愛するというお父様の生き様に繋がっているのでしょう。

そのレベルまではまだほど遠くても、私たちは私たちなりに家庭や会社や教会等の次元で、愛と心情のやり取りから生じる軋轢や錯覚や誤解を消化し、乗り越えて、原理のみ言を生活化していかなければなりません。

いつも味わっている甘さに慣らされていると、甘くないコーラや無糖の缶コーヒーに出くわした時、不足感を感じるのは否めませんが、そこでただ不満を口にして捨てる人もいれば、その商品にまた違った価値を感じる人も居ます。

常に対象に価値を見出そうとする姿勢があれば、そこから新しい発見とそれに伴う新しい展開があるに違いありません。

甘くないコーラは、物事に対する何か斬新な切り口を、私に気付かせようとしてくれているようです。







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posted by とら吉 at 15:22| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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