2011年09月30日

前提

最近自転車の運転マナーの悪さが問題になっているようです。

特にピストバイクと呼ばれる、ブレーキのついていない競技用自転車は危険度が高いですね。

普通はブレーキがついているのが前提で自転車は動いていると思っていますから、その前提に叶っていないものに対して、自分がそれを使えるのか否かという判断以前に、どうしても違和感を覚えてしまいます。

そもそも物作りには、誰がどのようにして使うのかという前提が定められ、それに従って作り上げるものですが、物作りに限らず思考発想等にしても、何か前提があって人間は物事を考えるわけで、その前提が覆されると戸惑ってしまう事が良くあります。

特に思想や発想における前提は、その人間の人生観などによって成り立つ事もあって、それが価値観につながる事もあるようですね。




Another Day , Another Setting.. / Manoj Mohan





ところで神様を信じない人たちと話をすると、私たちの発言や主張について、神様の実存を前提にして話をしていると批判することがよくあります。

そのために話がどこまでも平行線をたどることもありますが、歴史をさかのぼると、中世のキリスト教社会においては逆に、神様の実存が大前提であり、そこからすべての社会構造が成り立っていました。

その当時興隆していたスコラ学は自然科学や哲学などに応用されていましたが、その本質はすべての事象を神様に結び付けるために自然科学や哲学を駆使しようとする思潮でした。

当然この思潮はルネサンスによって否定され、神様の存在を前提としない科学的探究や論証が時代と共に進んでいくのですが、総序で語られるように現代の宗教なき科学は限界を迎えており、それはすなわち神様の実存を前提としない科学の限界でもあります。

しかし科学と宗教がお互いに歩み寄るべきだと言っても、宗教の側からアプローチしなければ科学の側から歩み寄る可能性は少なく、放っておけば宗教性の欠如や倫理性の欠如から、科学は様々な分野で自縄自縛に陥ってしまうことでしょう。

それ故にあくまでも宗教の側が主体に立つべきであり、その優位性を示すために統一原理のような周到な論理性が必要とされる訳ですね。

スコラ哲学のようなこじつけに近い科学と宗教の融合ではなく、論理性に基づいた科学と宗教の和合が、統一原理・統一思想によって可能となっています。

また視点を変えて、創造主としての神様の立場からすれば、真の愛で人間を愛し、真の喜びを共有したいという前提があって、被造世界を創造されたのですが、サタンはそれを何としてでも隠そうとします。

無神論者にしてみれば、世界が愛で創造されているというこの前提そのものが受け入れられないのでしょう。

それでも怯むことなく、また違和感なく、神様の実存を認めない無神論者の前提を覆す事が出来るとすれば、それこそが真の愛なのであり、それ故に真の愛に基づいたアプローチが宗教から科学に対して、常に求められているのでしょうね。









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posted by とら吉 at 17:38| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月28日

家族の絆

東北の震災以降、日本人の未婚者の結婚率が上がり、出生率も上がっているそうです。

いざ何かアクシデントがあった時に、やはり頼りになるのは家族であり、家族の絆が大切であることが再認識されてきたのでしょうね。

自分が大変な状況に追い込まれた時に、傍に家族がいるだけで心の支えになるということで、特に何かしてくれなくても、特に何か言ってくれなくても、ただ傍に居てくれるだけでありがたいと感じるのが家族なのだと思います。

自分一人で自分の運気を切り開いてきたとしても、今回の震災のように天災の前には個人の力など無に等しいと感じた人も少なくないでしょう。

人間にとって家族の絆は何よりも大きな心の支えであり、それはまた神様がそのように創造されたのでしょうね。

神様は血統を通して人間が神様につながるようにされたのであり、愛と生命と血統のうちで最も貴いものが血統であると言われるように、血の繋がった家族や氏族のまとまりから神様の願う本然の世界も成り立つようになっていたのでしょうから、家族がそうであるように、その世界にあっては阿吽の呼吸で心情が伝わるような世界であると推測できます。

そのような世界にこそ、人類一家族という言葉が現実味を持つのでしょう。




絆 Forge a bond / "KIUKO"




世界に目を向けると、韓民族やユダヤ民族にしても家族を本当に大切にしますが、戦乱に次ぐ戦乱の中で国家に頼ることが出来ない状況に置かれて、頼りになるのは家族のみであり、どこに逃げるにしても家族単位で移動しようとするのは無理もない事です。

またそのような状況であればこそ、家族の大切さを骨身に感じるのでしょうね。

最近、民主党政権になって特に、家族の成り立ちそのものを崩壊しようとするジェンダーフリーを信奉する政治家や知識人の活動が目につきますが、彼らにしてみれば家族制度と言う言葉のごとくに、家族とは単なる制度だと捉えているのでしょうか。

左傾化した思想をもってどれだけ家族を崩壊に向かわせようとも、家族の絆が神様の願いである以上、それを消し去ることは出来ないことを知るべきでしょう。

韓国からお嫁に来た婦人たちが、日本人の家族関係は薄っぺらいとか薄情だとよく口にします。

神様が韓民族を選民とし、韓国を神様の国として定められたのですから、そこには原理的内容以外にも、何かしらの理由がある筈で、家族の絆の強さや家族氏族の心情関係についても、それが創造本然の世界に近いのであろうことは良く言われている事です。

今現在の韓国の文化には色々問題があったとしても、過去長い期間にわたって培われてきた韓国文化や伝統に私たちが違和感を覚えているとするなら、それはそれだけ創造本然の世界に遠いからなのかも知れませんね。










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posted by とら吉 at 15:15| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

本日の礼拝

本日の礼拝は祝福原理復興会を行ないました。

パワーポイントによる講義が分かりやすくて好評です。

また来場者で80歳のおばあちゃんから高卒で働いているひ孫まで、親子孫4代で来られた方がいましたが、さすがに存在感がありました。


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聖酒による祝福伝道活動が盛り上がっている事もあって一昨日、妙にリアリティのある夢を見ました。

ホーム生活している自分の伝道対象者のケアのために、どこかの教会の青年支部を訪れているのですが、その待ち時間に青年支部の玄関に置いてあるゲストブックに自分も何か書こうとして開きながら、そこにある書き込みに一通り目を通していると、そのゲストブックの隣にもう一冊、別のノートがあるのを発見しました。

そこにはその支部で活動しているメンバーの自己紹介が書かれていたのですが、写真やイラストを交えてそれぞれのメンバーの最近の活動状況や所感が分かりやすくまとめられていて、新規のゲストが見ても、とても親近感を持てるような内容でしたので、興味深く読みふけっていました。

夢の内容はそこまでだったのですが、その後目が覚めた時に何かとても懐かしいような感覚であった事を覚えています。

私は青年の頃に東京の各地を約2年間伝道で回っていた事もあって、夢の中では自分自身が青年の頃に戻っていたのかもしれません。

無心に伝道に励んでいた頃を思い出して、初心に帰って頑張ろうと改めて思わされました。





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posted by とら吉 at 14:24| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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