2011年12月29日

正月準備

街中に出かけると、お正月に向けての買い物客で人出が多いですね。

昔のように、門松を飾り、鏡餅をお供えして、お正月に歳神様を迎える準備を整えている家はあまり見かけませんが、歳神様は豊穣の神様でもありますから、田舎では色々と準備していることでしょう。

また歳神様は祖霊でもあるとも言いますので、私たちの感覚からすれば絶対善霊となった先祖のようなものでしょうか。

多神教的土壌が色濃い日本ではありますが、祖霊を尊ぶ精神は日本人に代々受け継がれてきている貴重な精神性だと思います。

最近では年賀状も携帯やネットで送る人が増えているように、精神性や思想性や宗教性が薄れてくると、物事は形骸化する事からより簡便な方向に流れていくものです。

伝統行事は精神性などの内的な要素を受け継いでこそ、価値があると思われますので、正月を迎えるにあたって、日本人が2000年来受け継いできた精神性を、今ひとたび思い起こす事も必要なのでしょう。




Kadomatsu 門松 / kimubert



祖霊を迎える以上に、私たちは神様を迎える事を意識しなければなりません。

新年を迎えるにあたって、私の心に神様の居場所があるのかと、いつも自問自答する自分でありたいと思います。

お父様のみ言を見ると、もっと具体的に神様を迎える意識を持つように指示しておられます。

神様は、いまだに名のある国の足場をーつももったことがありません。本来は神様の国であり、神様の聖殿として造られたものが、神様が直接主管できる聖殿になっていないというのです。民族が失敗すれば、いつでもサタンが入り込める聖殿です。かわいそうな神様です。皆さんの家の中に、神様がいらっしゃることのできる部屋が一つでもありますか。布団の一枚でもありますか。この世界のどこにあるでしょうか。私たち統一教会は、そのようなことを理解して、それを準備しなければなりません。
           <神様の天宙安息圏と絶対「性」より抜粋>

        

有形無形という区別なく、神様をお迎えする意識の在り方として、このみ言を捉えると襟を正される思いがします。

本来は誰よりも自分の近くにお迎えすべき方を、自分の内外に迎えていたとは言い難い1年ではなかったかと言う、反省と悔い改めから来るべき新年を迎えたいと思っています。







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posted by とら吉 at 20:08| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

親の介護

年末のあわただしい雰囲気が街中に漂ってきました。

今年も陽暦ではあと数日ですが、天暦に移行してから年末の過ごし方も若干変わってきたようです。

氏族復帰に向かっていく事も重要な命題ですね。

我が家も相対者が氏族復帰を意識して実家の母の介護で帰省しましたが、認知症も進んでいてかなり大変なようです。

それでも自分の母親の介護だからという事で、手を抜かずに取り組んでいるようですが、何度も同じことを行ない、何度も同じことを聞いて来る母親の相手をするだけでも疲労困憊だと言っていました。

実家で同居している相対者の兄夫婦は、以前から特養ホームに入れる事を考えていたようですが、出来れば自分の手で診てあげたいと言うのが娘としての本心であり、特に、認知症などで人格が変わったり、人格が崩れていくのを放置しているのは、娘として何よりも耐え難いと言っていました。

今回は相対者は12月30日まで実家に帰省していますが、介護で人の手が足りないところは絶対善霊にお願いしたいものだと切実に祈祷しているそうです。



七福神面具 / drumrick



私自身が老年期に入ってどのような老後を過ごすのかと言う事が、最近若干ながら現実味を帯びて来ました。

自分の老い方にも心構えが必要なのかもしれません。

世の中を見てみると、男の場合は好々爺になるか、あるいは頑固爺になるかのどちらかですね。

自我に執着しているか否かの差であるとも言えますが、そうであれば信仰者は我を捨てる事を生活信条にしているのですから、好々爺になって当然なのかもしれませんね。

12双や777双の先輩たちも、老年期に入って好々爺になっておられる方をよくお見かけしますが、若い日の信仰生活が老年期になって結実する事を、実体で示して下さっているようです。

汝の若き日に、汝の創り主を覚えよという聖句は、この人たちが口にすると、とても説得力があるようにも思えます。

老年期に入って、頑固爺にならないためにも、自我への執着を削ぎ落として精進したいものです。






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posted by とら吉 at 20:40| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月25日

本日の礼拝

今、私たちが恋い慕うべき一つのことが残されているのですが、それは何でしょうか。私たちは、地のために代わりに仕事をしている聖霊を恋い慕わなければなりません。これを知らなければなりません。今まで数多くの人々がイエス様を二千年間霊的に恋い慕ってきましたが、今は聖霊も恋い慕わなければならないのです。そうしなければならない聖徒であり、私たち人類であるということを考えなければなりません。このように聖霊を恋い慕うべき時代が来たのであり、新婦の体を完成すべき時が来たのです。
 聖霊は新婦の神なので、新婦の姿を備え、新婦の形体を成して、私たちは恋い慕うことができなければなりません。このようになれば、イエス・キリストは霊界に行って休むことができるのです。そして天地に一つの中心を立てて、再び私たちがこの地を中心として探し求めていくのです。           (イエス様の生涯と愛 p283より)

今やこの地上に来るべき主は、どのようなみ旨をもって来られるのでしょうか。イエス様と聖霊のその中心を、皆さん自体につくり上げなければなりません。生きた肉体をもっている皆さんが、霊界を象徴し、肉界を象徴したイエス様と聖霊を見習い、霊肉を合わせた一つの実体の中心体として完成しなければなりません。そうでなければ、神様の全体創造の理念が、皆さん一人において完結されないのです。このような一つの中心の使命が、イエス様と聖霊の使命なのです。この一つの中心をつくるために、イエス・キリストは再臨されるのです。               
                (イエス様の生涯と愛 p284より)


本日の礼拝の訓読のみ言です。

クリスマスにふさわしく、聖霊の役事を意識して歩むべき私たちであることを教示してくださいました。


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教会学校では23日の祝日にクリスマス会を開催しました。

クリスマスが過ぎればもうお正月気分になってしまうのが常ですが、この辺りの変わり身の早さが欧米から見ると理解できないようです。

平然と多神教文化に浸っている事に違和感がないのは、長年にわたる文化的背景と、それが遺伝子に組み込まれているからなのでしょうが、世間では宗教的背景など考える事もなく、単に季節行事としてクリスマスを祝っているだけなのでしょうね。

イエス様の生誕をケーキでお祝いするのなら、聖霊降誕のペンテコステもお祝いするべきだろうと言うクリスチャンの声が聞こえてきそうですが、5月半ばや6月に派手にお祝いする風習が日本ではあまり馴染めなさそうです。

元来日本人は先祖を敬い大切にする気持ちはあるのですが、その先祖と神様とが結びついていない所が問題なのでしょう。

日本の現状を見る限り、多神教的風土を一神教に収束させると言う課題は、とてつもなく大変な道のりのようにも思えますが、そこに地上天国の礎があることを考えると、避ける事の出来ない課題ですね。

霊界ではすでに超宗教的な交流と結束が成されているようですから、地上においても超宗教的な結束をあらゆる地域・国家において実現したいものです。

イエス様の本来の願いもそこにあるに違いありません。







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posted by とら吉 at 17:59| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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