2012年02月29日

自叙伝書写会

 祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聞きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのでないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話しになりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい、という驚くべきみ言でした。
(自叙伝62〜63ページ)

 神様が十五歳の私に現れたのは、人類始祖の犯した罪の根が何であるかを伝え、罪と堕落のない平和世界を築こうとされたためでした。人類が犯した罪を贖罪し、太古の平和世界を復元するように、というのが、私が神様から授かった厳重なみ言でした。神が願う平和世界は死んでから行く天国ではありません。神の願いは、私たちが生きるこの世の中が、太古に創造されたその場所のように、完全に平和で幸福な世界になることです。
(自叙伝89ページ)


本日は浅川勇男先生をお招きしての自叙伝書写会を行ないました。

東京は珍しく雪が積もりましたが、悪天候にもかかわらず大勢の参加者がいて、とても盛況でした。

今回は2巡目の初回で、書写するみ言は「苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい」という高尚なみ言でしたが、「人類」を自分の身近な家族に置き換えて意識して書写すれば良いとの浅川先生の適切なアドバイスもあって、一段と理解が深まったように思います。



0229書写.jpg




講話の中で、自叙伝から浅川先生が読み解く、文鮮明先生が青年期までに得た悟りとは何かというと、次の2点であると説明されました。

1、幸せとは人を幸せにした時に得る喜びである。
2、人からどんな目にあわされても変わらず愛する心を持つ

この2点を生涯持ち続けて、またそれを実践しておられる文鮮明先生の生きざまを、私たちは誇りを持って社会に伝えていかなければなりませんね。









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posted by とら吉 at 14:18| 東京 🌁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

本日の礼拝

これから皆さんが注意すべきことは、最初の心情を最後まで持ち続けていかなければならないということです。平安だからといって、楽にしていてはいけません。最初のその心を持ち続けるのです。最初と最後が同じでなければなりません。先生も同じです。自分が教えたことを訓読していますが、訓読会をするときに、そのような姿勢が必要です。その時が、どのような時だったということを知って、それと同じ水準で、その語った内容が共鳴しなければなりません。「今はその時よりも発展しているので、その何倍も新たに決意する」と言える、そのような心の姿勢があってこそ、天が無限に発展し得る力を補強してくれるのです。訓読会をすれば、その心情の世界に通じるので、自分も知らずに涙が流れるのです。訓読会には、そのような力があります。電気で言えば、蓄電されているというのです。誰の言葉でも、そのようになるのではありません。先生が死ぬか生きるかという立場で話したみ言です。殺されて、いつ倒れるか分からないのです。ですから、み言を全て話しておかなければなりません。み言が残っていれば、そのみ言は、世の中にはないみ言であり、天のみ言なので、霊界が、そのみ言を中心として、どこでも復活の役事を起こせるのです。
流れていく言葉ではありません。
<天運と聖霊の宿る八大教材・教本 より>


本日の礼拝の訓読のみ言です。

証しやみ言を交えて終始、訓読の重要性を強調して教示してくださいました。

「み言を訓読する時間は神様が直接教育してくださる時間である」、「み言を訓読すれば、神様が自分の中に入って来る」という証しやみ言がとても印象に残っています。

私たちも家庭訓読教会を作るべく、頑張らなければならない事を様々な角度から教えていただきました。


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訓読会の重要性は常に耳にするところですが、実際に訓読している内容をその都度理解しようとしなくても良いという話もあります。

神様が直接教育する時間なので、訓読を実践する事そのものが重要なのだと言う事ですが、最低でも72分だとか90分だと聞きます。

やはり実践あるのみだと言う事で、またそれを疑わずに実践した方の様々な証しもあるそうですから、あれこれと考えずに訓読に向かうのが良策ですね。

声に出す行為そのものが、言葉の力を具現化するとも言います。

言葉に霊が宿るという言霊の思想を見ても、古来日本人は言葉の力を感じ取り、言葉の力を大切にしてきました。

良い言葉を発すると良い現象を伴い、悪い言葉を発すると悪い現象を伴ってしまうが故に、不用意に発っしてしまった悪い言葉を、即座に否定する言葉をも考慮していたようで、ことかえの儀式と言ったものもあるそうです。

だからこそ決まった時間、継続的に神様の言葉を発し続ける事が、私たちの身も心も浄化させると考えても、あまり違和感を感じません。

逆に世の中を見ると悪い言葉が満ち溢れていて、それが具現化してしまっているようにも思えます。

訓読を広める事は社会の浄化にもつながると考えると、訓読家庭教会の重要性がますます実感できますね。









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posted by とら吉 at 16:56| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

受験の春

次女の大学受験の結果発表が佳境に入ってきました。

第二志望の大学には合格しましたが、結果待ちの大学がまだ2校あり、その中には第一志望の大学が残っていて、その結果が待ち望まれる所です。

教育費の捻出に頭を悩ませていますが、これも子育ての楽しみの一つと割り切って取り組むしかないですね。

受験生は受験生なりに、その親は親なりに、それぞれの事情と立場で苦悩の中に居るのですが、もうすぐ解放されるのかもしれません。

苦悩が大きければ大きいほど、それを抜け出した時の解放感や達成感も大きいのでしょう。

どちらかと言えばのんびり屋の次女ですが、受験の度にたくましくなっているようにも思えて、これはこれで次女の成長の糧になっているのかもしれません。

また、子供の成長と共に親もまた成長させてもらっているようにも感じます。

さらなる朗報を期待したいものです。




Puff-throated Bulbul (Alophoixus pallidus) / Lip Kee




寒波が少し緩んで、今日の東京は12℃まで気温が上がりました。

早く春を迎えたいと思っているのは人間だけではないようで、我が家の庭先にあった鉢植えの千両の実が、すべてきれいに食べられていました。

朝出かける時に、近所の家の庭木にヒヨドリが数匹居ましたので、悪食の彼らの仕業だろうと思いましたが、寒さが厳しく食べる物が少ない時期なので、それはそれで良いかと思ってしばらく彼らの飛び回る様を眺めていました。

ヒヨドリに悪食のイメージがあるのは、彼らが雑食性であるだけでなく、見た目に地味で、鳴き声も美しくないと言う、人間の身勝手な判断によるものですが、都会にいた方が餌にありつけるのでしょうか。

人間の住環境に適応して、鳥たちも住み心地のよい状況を見出しているようです。

人間との距離感において、犬や猫のように密接はしないものの、適度な距離を取りながら、それなりに人間の生活に潤いを与えてくれているようにも感じます。

神様の創造された万物にはそれぞれに人間社会とのかかわりの中で、その役割が定められているのかもしれません。

ヒヨドリに心なごませる時間を持てたのも、梅にウグイスと言う2月・3月の典型的な美の取り合わせだけでなく、あらゆる自然万物のなかに人間を刺激し、慰労し、喜ばせるような要素が満ちている証左でしょうね。






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posted by とら吉 at 20:27| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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