2012年07月29日

本日の礼拝

私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて聞くようになります。十時間、二十時間と拒まずに聞きます。
話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。
そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。
それが、その人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。     
生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私自身の真実の心の内も真摯に話してあげました。
そして、涙を流してお祈りしました。
              (自叙伝 p150〜p151)


本日の礼拝の訓読のみ言です。

本日の礼拝は浅川勇男先生をお迎えしての、自叙伝書写礼拝となりました。

書写のみ言は、「心を尽くして人の話を聞いてあげる」 です。

講話の中で印象に残ったのは、耳も人を愛するために存在しているのであり、人を愛するための耳の使い方をしましょうと言う内容でした。

それには次の2点に留意するようにという事です。

@心の門を開いて、人の話を聞く
A根気と忍耐で人の話を聞く

何時間でも根気よく人の話を聞いてあげる事が重要です。

その人にとっては、ここで話を聞いてくれなければという瞬間があって、それを逃すと取り返せない時があるとも言っておられました。

それ故に誰の話を聞くにしても、真剣に聞いてあげる事が求められているのですね。



syosya0729.jpg



訓読したみ言にも在りますように、お父様は人の話を聞き続ける事において、誰よりも真剣であり真摯に取り組まれる方です。

お父様は何時間でもみ言を語られますが、その点だけを見ているとお父様の本質を見誤ってしまいます。

お父様は20時間でも人の話を聞き続ける事が出来るから、20時間でもみ言を語り続ける事が出来るという事で、すべてが愛の表現に相違ありません。

言葉には魂があると言うみ言もあります。

話を聞き、言葉を交わす事は魂を交わす事でもあると考えると、真摯に真剣に取り組むべき事であると改めて考えさせられました。







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posted by とら吉 at 14:58| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

生き様

ロンドンオリンピックが開幕しました。

猛暑の続く中、只でさえ熟睡しづらい時期に、深夜のテレビ中継などでますます睡眠時間が削られそうですが、熱中症で倒れている方も大勢いますので、体調管理には充分気を配りたいものです。

我が家も最近はクーラーをつけっぱなしで、それでも少し気遣って極力ドライで動かしているのですが、本当は夏に汗をたっぷりと出すのも、人間の体のサイクルには良いのでしょうね。

熱中症の危険性があるので、最近は炎天下でのスポーツなども自粛気味ですが、本来は夏に汗を出して、冬や春に溜まった体中の毒素を出す、デトックスの時期であるとも言います。

適度な運動で適度に汗を出すと言う事に徹すれば、夏もまた快適に乗り切れるかもしれません。

そのためにも睡眠時間の確保は大切ですが、当分の間は昼寝等で不足分を確保するしかないようです。

それでも日本の選手が活躍してくれれば、その爽快感で気力を補える事でしょうね。




Thunderstorm / tlindenbaum




先日のブログで「葉隠」の事を書きましたが、その後武士道に思い入れの深い知人から、西行法師の和歌を教えていただきました。

     「願わくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃」

西行法師の残した山家集は源平合戦の頃に著されたそうですが、諸国行脚をする中で無常の世の生きざまを歌った和歌も多く、上記の和歌も「葉隠」の思想に通じるとして愛唱された和歌でもあります。

「葉隠」に対しては軍国主義的な誤解もあるようですが、実際には処世術的な要素もあり、その本質は人間の生き様の追求なのでしょう。

また、西行法師の生きていた時代は、戦での討ち死にや野垂れ死になどと言う事が普通にあった時代でしょうから、自分の意のままにならない死を、せめて自分の自覚できる範囲の中で迎えたいと願う気持ちも良く理解できます。

とは言え、現代においても人間の死は自分の意のままにはならないものですから、それなりの準備を整えた上で霊界へと旅立つのが理想的ですね。

以前、松本ママが聖和された時、多くの人に見守られ、ベッドの上で「お父様、感謝です」と叫ばれながら霊界へと旅立たれたと聞きました。

松本ママの生前の業績を考えると、天に恥じない生き様があってこそ、天に恥じない死に様を迎えられるのだろうと思うのです。










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posted by とら吉 at 16:50| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

狭き門

教会学校の子供達が週末の夏のキャンプを控えて準備に忙しいようですが、まだ夏休みも始まって間もないので、遊びに意識が集中するのも止むを得ませんね。

夏休みになると親も子も必ず考えるのが、遊ぶのが先か、宿題が先かという問題です。

夏休み中に遊びに費やすエネルギーと勉強に費やすエネルギーとを比べると、遊びに費やす方がはるかに多いのでしょうが、その振り分けを間違えると後で苦労する事になります。

我が家の娘たちも小学校の頃は夏休み中遊んでいて、8月下旬になって大慌てで宿題をやっていた事を、まるで昨日の事のように思い出しました。

嫌だと思う事は先にやるようにと、その頃から言っていたと思うのですが、それでも楽しい事から先に手を出そうとするのは、性格と言うよりは人間の性(さが)でしょうか。

夏休みの計画はしっかりと立てて臨んでほしいものですね。




space / Francois Schnell




神様の当初の願いとは裏腹に、堕落した人間の創り上げてきた世界ですから、自分が嫌だと思ったり後回しにしようとする事の中に、より本質的なものがあったり、より他者のためになる事があったりするのは、無理のない話です。

聖書の有名な聖句にもあるように、

「狭き門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見い出す者は少ない」
(マタイによる福音書7章13節)

この狭き門は神様に到る道、あるいは自己完成への精進の道なのでしょうが、室町後期から戦国時代において成熟した茶道における茶室のにじり口との関連性を説く方も居るそうです。

にじり口から身をかがめて茶室に入ると、そこには武士も文人も区別なく幽玄の世界が広がっている訳ですが、キリスト教伝播の時期と確かに重なっていて、その影響があったのかも知れないと思わされますね。

江戸期に入ってからの日本人の倫理道徳の柱となってきたのは武士道でしょうが、その身の処し方を説く「葉隠れ」には、「二者択一を迫られたら、嫌な方を選べば恥をかかない」という内容があります。

武士の世の処世術と捉えればそれまでですが、恥と感じる大衆の延長線上に神様に通じる発想があり、お天道様という言葉にも現わされているように、人の目の延長線上に天の視線が存在している事は間違いありません。

それ故に倫理観として考えると、嫌な方から選ぶという発想は、仏教でいえば執着を捨てるという事でしょうし、それはまた茶道の茶室のにじり口、あるいは聖書の狭き門に通じるようにも思えます。

元来、自分を律する事をしなければ、自分のやりたい事をやり続けようとするのが堕落人間の性ですし、それ故に現代社会においても絶えない殺人や強盗などの様々な犯罪を見ても、数千年前にモーセに与えられた十戒すら未だに守れない人類ですから、幼少時から自分を律する躾が必要なのでしょう。

自分が嫌だと思う事から手をつける、そこからすべてが始まるように思えてなりません。










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posted by とら吉 at 12:47| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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