2012年08月31日

自叙伝書写会

「家和して万事なる」という言葉を覚えておくべきです。家庭が平和であれば、すべてのことがうまくいくという意味です。平和な家庭は天国の基礎であり、家庭の原動力は愛です。家庭を愛するように宇宙を愛すれば、どこへ行っても歓迎されるようになります。神様は、宇宙全体の父母として愛の真ん中にいらっしゃるのです。したがって、愛にあふれた家庭は、神様にまで一瀉(いっしゃ)千里で通じるようになります。家庭が愛によって完成してこそ宇宙が完成するのです。
(自叙伝p223)

 家庭というのは、人類愛を学び教える学校です。父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。また、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。
愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。
(自叙伝p223)


本日は浅川勇男先生をお迎えしての自叙伝書写会でした。

今日の書写のみ言は「家和して万事なる」でしたが、様々なお話を交えながら、分かりやすく誰もが納得できるように講話をしていただきました。



syosya120831.jpg




家和すると言う事は文字通りの意味で、その根本は夫婦円満である事だそうです。

その夫婦円満の為の三つの秘訣と言う事を解説して下さいました。

@ 心の掃除をする
  嫉妬や恨みは心の汚れであり、特に人は変わらないものだと決めつけるのは頑固な
汚れである。
A 言葉の掃除をする
大半は言い過ぎによる。
B 家の掃除をする
愛する人が快適に過ごせるために掃除をするという心掛けが大事であり、自分のために掃除するのではない。 

この辺がお話の核心部分で、夫婦円満が様々な問題の解決の近道であり、ツボであると言う内容でした。








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posted by とら吉 at 15:41| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月29日

水遊びの記憶

今日も暑い一日でした。

所用で午後電車で出かけましたが、全身から汗が噴き出て滝のように流れました。

電車の中でプール帰りの子供達を見かけると、本当に水が恋しくなってきます。

海や川などでの夏の水遊びの思い出は、意外にしっかりと記憶に残っているものですね。

流水の水しぶきや、日差しを受けてきらめく波の印象が、脳裏に深く刻み込まれています。

子供達が小さい頃は、よく海にも連れて行きましたし、川遊びにも連れて行ったものですが、ここ数年は子供たちの成長や仕事の多忙な事もあって、海や渓流を目にしていません。

せめて水族館にでも行って、群れて泳ぐ魚の群れを見ながら、癒しの時間を持ちたいものだと思います。




葛西臨海公園水族館 / amika_san



映像などでも水の中を気持ちよさそうに泳ぐ魚を見ていると、なぜか心が癒されますが、水を神様の愛に例えると、魚たちは神様の愛に包まれているから、心地よさそうに見えるのだろうかと思ってしまいます。

そのような連想をしていると、水遊びにもまた違った趣が感じられるかもしれません。

クリスチャンの歌人、塚本邦雄氏の晩年の歌に次の一首があります。

   波は神の手 魚の流露 いつの日も 水晶の光 濃き香の何か

神様の手の中にあるような魚の姿をイメージしているのでしょうか。

残暑にめげず、神様の愛に包まれた心地よい日々を過ごせるように、心掛けたいものですね。





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posted by とら吉 at 19:14| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月28日

ささやかな幸せ

8月も残りわずかになってきました。

実家に帰省していた相対者も帰ってきて、我が家にも家族団欒の時が再び訪れたと、長女が何気なく呟いていました。

私の帰りが毎日遅いので、相対者が帰省していた時は、長女と夕食の時を持つ事も出来ませんでしたので、一人で夕食を食べる寂しさを感じていたのでしょう。

家族で一緒に夕食をいただく事、それはささやかな幸せと言ったところでしょうか。

もっとも、そのささやかな幸せにいつまでも満足していないのが人間の人間たる所以でしょう。

私たちの心の中にはいつも、現時点で獲得しているささやかな幸せで満足するのか、それともまだ見ぬ将来の大きな幸せを求めるのかという思いのせめぎ合いがあります。

一般的には現時点の幸せで満足せず、もっと大きな幸せに向かって歩もうとするものですが、それは過分な欲望ではなく、人間自体の本性的なものである筈です。

本然の世界においては、幸せを求めようとする欲望が神様の喜びと直結している筈ですし、またそのように創造されているのでしょうから、神様をもっと喜ばせたいと言う思いが動機となって、より大きな幸せを求めようとするのでしょう。




夏空 / ColdSleeper




かつて数万年前まで生息していたネアンデルタール人は、その人骨の発掘調査から仲間の死を悲しみ、花を手向けて埋葬する痕跡が見つかったと言います。

けがなどで動けなくなった者を、仲間がサポートして生活していた痕跡も見つかっているそうで、案外穏やかに生活していたのかもしれません。

しかし彼らはその後、絶滅してしまいました。

その後現われてきた現生人類に近いクロマニヨン人は、ネアンデルタール人と何が違っているのかと言うと、脳においては前頭葉の大きさだそうで、クロマニヨン人の方がはるかに大きいそうです。

前頭葉は脳の加速器であると言います。

現状に満足せず、価値の追求や実現を常に求めようとするのはこの前頭葉の働きだそうで、それはまた神様の創造の目的に叶ったものであるとも思えますね。

私自身が求め続けている幸せや喜びが、神様の喜びと直結しているとすれば、それはどれほど光栄な事でしょうか。

神様と一体になると言う事は神様と知情意を同じくするという事なのでしょうが、その中心が情であると言いますから、何よりも情を共にしたいと願われるのが、神様の第一の願いであったに違いありません。

情感で神様を実感するという世界を、是非体験してみたいものですね。






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posted by とら吉 at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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