2012年12月30日

本日の礼拝

本日は宋総会長によるインターネット礼拝でした。

神様との信頼関係を構築しなさいと強調しておられた事が、とても印象に残っています。

宋総会長もお元気そうな様子で、1年の締めくくりにふさわしいみ言をいただきました。


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年末のあわただしい中ではありますが、今日も大勢の方が礼拝に参加しました。

例年なら家の大掃除ももう終えていて良い時期ですが、家族もそれぞれの用事で不在で、仕事も何かと忙しい中、家の事など後回しになってしまって居ます。

この調子だと大晦日も忙しく成りそうですが、あまり忙しいと季節感を失ってしまいますので、自分の中にしっかりと区切りを設定しておきたいものだと思います。

街中にはお正月飾りを露店で売っているのも見かけますから、買って帰って飾っておこうと思いますが、大みそかに飾ると一夜飾りで新年に訪れる歳神様に失礼だという習わしですので、本日中には飾っておきたいものですね。

古来、歳神様は豊穣を招く祖霊であるとも言います。

都会に住む私たちにおいては、家族氏族に有形無形の実りをもたらす、絶対善霊となった御先祖という事でしょうか。

善霊堂が絶対善霊の居所であり、常にそこにおられるとは言いますが、それでも新年を迎えて絶対善霊と地上人が一つになって新しい出発をするという感覚を、我が家において実感出来るように意識を持ち、精誠を積み重ねたいと思っています。





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posted by とら吉 at 18:47| 東京 ☔| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月28日

梶栗会長聖和式

本日は梶栗玄太郎会長の聖和式が本部教会で行なわれ、教会でもインターネット中継が行なわれましたので参席しました。

国進様や石俊B韓国統一教会会長、梁昌植・北米大陸会長、朴普煕会長を含む教会幹部の方々が参加され、霊界への旅立ちをネットを通じて全食口が見送る場と成りました。



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式典は午前8時30分から開始されましたが、朝早かったのはその後尾瀬霊園に埋葬するためであると聞いています。

この時期の尾瀬霊園は雪景色でしょうね。

1999年に聖和した私の長男が尾瀬霊園に埋葬されていますが、その時は2月半ばでしたので、かなり雪が深かった事を覚えています。

近隣の教会の方が奉仕で重機を使って縦穴を掘ってくださるので、おそらく昨夜も梶栗会長の墓所のために遅くまで奉仕されていた事でしょう。

尾瀬と言えば、昨日から尾瀬研修センターで行なわれている成和青年5日修に、今年大学1年生になった次女が参加しています。

大晦日までのあわただしい期間ですが、学生にとってはみ言を集中して学ぶ機会が少ないので、大いに活用して欲しいものだと思います。

新しい会長も早々と決まりました。

教会自体が年内に様々な事を整理して、新しい出発をするようになってきているように感じます。

同様に我が家も、年内に様々な事を整理して、新しい出発をすべき時が来ているのかもしれません。

すべてにおいて時を定めるのは神様の業ですから、神様に委ねて、良い流れの中で新年を迎えたいものだと思います。







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posted by とら吉 at 14:31| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月27日

相対者の帰省

今年もあと数日になってしまいました。

我が家では相対者がお母さんの介護のために和歌山に帰省しました。

85歳になるお母さんはとても元気な方でしたが、一昨年前に大腿骨を骨折して以来、一日の半分以上はベッドの中で過ごしています。

若干の認知症もあって、身の回りの世話は相対者の妹が見ているのですが、たまに交替してあげないと介護する側も疲れてしまうので、年末大晦日まで相対者が代わって上げる事になりました。

相対者の実家は和歌山の山奥で、家の周りは山しか見えないようなのどかな場所です。

私も数度同行しましたが、相対者の実家の縁側から外を眺めていると、緑に覆われた山並みが何処までも続いていて、春や秋の穏やかな気候の日に座っていると、何も考えることなく緩やかに時間が過ぎていくのを感じました。

日頃の都会の喧騒を離れて、自然の豊かな場所にいて、大した予定もなく時間を過ごすのも、心の掃除には良いのでしょうね。

風に揺れる木の葉の音や、鳥の鳴き声など、日頃は気にも留めない事に気付いて、まるで新しい発見でもしたかのごとく心が躍動してくるのも、自然万物との繋がりの中で生きる人間としての本性の一端なのかも知れません。

大自然の神秘に驚きの声を上げる人は、そこから生きる力を得ていると言います。

自然との接触点を大切にすることで、そこから受ける様々な刺激とそれを受け止める感性が豊かになり、それが人間としての生き様をも豊かにするのでしょう。




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それにしても田舎の家の縁側に座っていると、家の中と自然界がその一点で出会って居ると感じられますね。

何も考えずにじっと座っていると、風向きや時間帯で風の匂いが時折変わる事に気付きます。

風に揺れる木の葉の音も、広葉樹は広葉樹の葉摺れの音、針葉樹なら針葉樹の葉摺れの音がそれぞれに異なり、高木や低木でも葉摺れの音が異なる事に気付きます。

鳥たちの鳴き声も、その時々の状況で声が変わり、人里に近ければ近いなりに羽音まで聞こえて来ます。

虫の音にしても、佇む場所の茂みの深さによっても異なってくるようです。

何気なく自然の中に身を置くと、音や匂いや触覚など五感に入ってくるすべての刺激が私たちの心を、どこかに向かう訳でもなく柔らかく動かそうとしているように感じますが、それは神様が自然万物を通して、私たちの心にいつも働きかけようとしているからなのかも知れません。

都会の喧騒の中にいて、神様からの純朴な働きかけをあまり感じ取れないような生活をしていても、自然の中に入り込むと本性的に人間に備わっている感性が目覚めてくるのだろうと思います。

そして人間がどのような環境に居たとしても、神様からの働きかけはいつも変わらず、人間が気付いても気付かなくても同じように注がれているのでしょう。

その神様からの有形無形の働きかけに気付いた時に、私たちは自分が生かされている存在であると実感出来るのでしょうね。




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posted by とら吉 at 16:27| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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