2013年02月27日

変化の認識

基元節を過ぎて、新たな世界へと突入して行く時代になりました。

そうは言っても突然すべてが変化して行く訳ではないので、あまり変わりない日常生活の延長になっているように感じるのですが、霊的には大きく変わって、人類そのものの霊的背景が変わってしまったようにも思えます。

過去においても新しい時代、新しい世界と言われた節目はありましたし、個人においてもそのような節目は幾度となく訪れますが、何処から変わったのかという一点があいまいではありました。

その点で、基元節は明確な節目の一点であり、人類全体が新しい段階に突入した事を考えると、一つのレベルアップというよりは、階段の踊り場に上がって次の階段に上る一歩を踏み出したようなものでしょうか。

それはおそらくとてつもない跳躍が必要であり、そのために到底昇り上がる事が出来ないものを、真のご父母様の精誠によって一機に跳躍させていただいたのでしょう。




角島大橋 -TSUNOSHIMA Bridge- Scene01 / suzumiyaharuka



個人の人生を考えてもそれなりに節目はありますが、入学式や卒業式、成人式や結婚記念日など、日時が明確であればそれなりに新しい変化、出発も認識することはできますし、そこから以前と違った環境に生きる事になれば、嫌でも認識せざるを得ませんね。

これが社会の変化となると例えば今回の天一国の様に国家そのものにおいては、独立記念日や憲法の発布日などは、その日を起点としてそれまでの状況と大きく変わる事が明確ですから、変化の認識も明確になります。

しかし文化や生活様式などは、何処に変化の起点があるのかは非常にあいまいで、後になって変化に気付く事も良くあり、その変化をいつまでも明確に認識出来ないでいると、取り残されてしまう事にもなりかねません。

卑近な例でCDの売り上げを例にとると、最近の音楽CDの売り上げの落ち込みが著しく、その原因として違法ダウンロードが後を絶たないからだと分析しているそうですが、この10年来の音楽配信の変化も激しくて、最近ではインターネットからのダウンロードが主流になりつつあります。

それ故にCDを買って聞くという習慣そのものが薄れつつあるのも事実で、それでも売れるCDとなると、それなりの付加価値や企画性さらには特異性が必要だと思いますが、その辺りの努力や工夫がされておらず、やみくもに他に原因を作ろうとしているようにも見受けられます。

それでも制作サイドの方たちは、その人たちなりに努力や苦労をして投入しているのでしょうが、時代や社会の変化を認識できずにいると、徒労に終わってしまうと言う事でしょう。

このように変化に対する認識が不明確であれば、自分では一生懸命に努力し苦労していると思って居ても、それが実を結ばず徒労に終わってしまうことがありますので、基元節を過ぎてからの社会の変化が認識できなければ、世の中も同じような現象が現われてくる事が考えられます。

世の中のみならず私たち自身も、基元節を節目として、これからの変化を正しく認識して、何処に自身の心情と精誠を投入すべきなのかを考え合わせながら、生活を組み立てていく事も必要なのかも知れません。

そのためにも天の意向と方向性をしっかりと見つめて歩みたいものです。







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posted by とら吉 at 16:37| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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