2012年10月16日

秋晴れ

今日の東京は秋晴れでした。

午後は所用で車で外出しましたが、澄みきった青い空がとても爽快で、車の窓から吹き込んでくる風もとても心地よいものでした。

明日からは台風の接近に伴って天気も下り坂だそうで、今日の青空が週末には見れなさそうな様子です。

帰り道に久し振りに吉祥寺の駅から井の頭公園の方向に帰路をとりました。

子供達が幼かった頃は井の頭に住んでいたので、度々井の頭公園や動物園には連れてきたのですが、通りを走っているとまるで昨日の事のように思い出されます。

さらに記憶を辿ると、まだ祝福を受ける前の青年の頃に、5〜6人でチームを組み、計4チームで都内の教会を一ヶ月ごとに伝道活動で回っていた頃の事を思い出しました。

三多摩に来た時は、吉祥寺の南口のすぐ近くのアパートの一室に伝道所が設けられていて、路傍伝道をしながら伝道所でよく序論の講義をしていたものでした。

迫害も多々ありましたが、それでも喜々として伝道に取り組んでいた当時を思い出しながら、最近お母様が良く言われる、教会草創期の伝道の活気あふれる教会を再現したいとの想いが伝わってくるようにも思えたのは、秋の爽やかな風と収穫の秋の季節感のおかげでしょうか。




井の頭公園 / monoooki



迫害と言えば、先日訓読していた「礼節と儀式」の一節が印象に残ったので下記に掲載します。

皆さんは、神様とサタンの作戦法を知らずにいます。打たれて奪ってくる道は、アベルが行く道です。サタンは先に打つので勝ったように見えますが、あとになると自分がもっている自分の善なるものまでプラスして返さなければならなくなるのです。悪の側だということは、相手を打って占領したとしても栄えるのではなく、悪なるものの中にある善なるものまで奪われるのです。言い換えれば、神様は餅をついて渡しておき、それを返してもらう時には、餅にきな粉がついてくるのと同じような役事をされるのです。一時は悪が栄え、善を打つ立場に立ちますが、だからといって天が滅びるのではありません。


実にお父様らしい表現だと思いますが、私自身も伝道された当初は、神様から見れば餅についてきたきな粉の様なものだったのかもしれません。

天や先人の犠牲の代価によって導かれた身である事を忘れてはなりませんね。

単に餅にくっついてきたきな粉も、時間と共に餅に馴染んでその一部と化すように、私自身も時間と共に神様の一部となれるように歩みたいものだと思いました。





ランキングに参加しています。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村

posted by とら吉 at 21:05| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。