2013年02月14日

レスリング騒動

国際オリンピック委員会(IOC)が2020年五輪の実施競技からレスリングを除外すると報じられて、マスコミでも話題になっています。

ワイドショーなどでも取り上げて、バックの外郭団体や国がロビー活動の本腰を入れていなかったからだと批判していますが、問題はそれだけであるとは思えません。

特に女子は日本人が金メダルを取りすぎてきたからだという説もありますが、一概にデマと思えないところがありますね。

参加する選手たちはスポーツマンシップに基づき正々堂々と闘っているのですが、その背後の団体や国は公平な思想と理念に基づいているとは言い難いようです。

それが最も顕著に表れているのがルールの改定で、かつて冬季オリンピックのノルディック複合競技で、ワールドカップにおいて通算19勝を成し遂げていた荻原健司氏を始めとする日本勢の圧倒的勝利に業を煮やして、ルールを改定してジャンプの得点の比率を下げたという事もありました。

今回はルールの改定以前に、その存続そのものが問われているのですが、オリンピック競技からレスリングが無くなった時点で、オリンピックでは無くなるように思うのは私だけではないでしょう。

今後の成り行きに関心が寄せられるところです。




Olympic Beach, Greece - view of Mount Olympus / cod_gabriel




スポーツに国境はないと言いますように、当事者には国境や文化の違いはあまり関係がないようですが、そこにそれぞれの利権や名誉欲や様々な堕落性が絡むと、どうしても自国の名誉や利益に意識が奪われるようです。

平和の祭典と言いながら、純粋に競技者の技量や鍛錬の成果を評価するという観点には、なかなか立てないのがオリンピックの現実ですが、むしろプロスポーツの方がその面では垣根なくワールドワイドに個人の技量が評価されるようですね。

真のお父様が提唱されたサッカーのピースキングカップのように、最初から世界平和という大前提としての目標・目的が厳然と定められていた方が、国家や民族の名誉・利益に偏らない観点を持たせるためには良いのかもしれません。

混迷した時に立ち返る原点を持つ事が何事にも大切だという事でしょうか。

オリンピックも平和の祭典としての原点を認識すべきでしょうし、相撲やレスリングなどは元来、神前に捧げる儀式の一翼である事を考えると、その競技そのものの伝統や格式などを含めた存在意義があると思うのです。

競技者が日頃から積み重ねた鍛錬の成果や技量を神様に捧げるという観点に立つと、オリンピックスポーツも一味違った味わいが出るのかもしれませんね。




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posted by とら吉 at 21:02| 東京 ☀| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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