2010年12月19日

本日の礼拝

誰が悪霊と善霊の闘いを終わらせることができるのでしょうか。それは神様でもなく、サタンでもありません。それでは誰でしょうか。真の愛から出発して真の愛をもっていく、世界万民がついていける愛の主人公が現れなければ、神様の闘いと、サタンの闘いを終わらせることはできないのです。この闘いから解放されない限り、人間歴史世界において平和という言葉は妄想的なものです。
「理想」という言葉は、抽象的で感傷的な言葉にすぎません。それで、神様はこの代表者を遣わすのですが、その主流思想をメシヤ思想というのです。救世主思想、救世主は人間だけではなく、神様までも解放する人のことを言います。悪を処断することを意味します。神様解放と悪を決算するための総責任者が救世主です。
救世主の使命は神様を解放することであり、サタンを処断することです。あれほど人間に食いついては讒訴した怨恨のこの元凶を、誰が清算するのでしょうか。神様にはできません。唯一メシヤ、救世主だけができるのです。
 私たちの願う統一教会とは何でしょうか。父母の宗教を求めていこうということです。甘い生活を求めるのではありません。道義的な関係ではありません。真の父母を中心として真の愛の道理の道を求めていこうというのです。そうして神様を解放しようというのです。愛の原則条件が結びついていなければ解放されないのです。
 神様を解放しなければなりません。私が神様を救わなければならないのです。私が救われようとするのではなく、神様を解放しなければなりません。これが救いの摂理の総決算です。
 統一教会は、神様解放のための解放軍です。
                 <天聖経 p163〜p164>


本日の礼拝の訓読のみ言です。

真の御父母様がメシアとしての使命であるサタンの断絶と神様の解放を成し遂げられ、天地人真の父母様として顕現されることにより、天地の軸が定まったので、この軸に合わせていくものは発展し、この軸に合わせないものは衰退していく時代である事を教えていただきました。

また今は神様が直接に摂理を主導しておられる時代になったので、祈りは必ず聞かれる時代であり、特に犠牲を伴う祈りは必ず天に通じる。

日本の今の繁栄も母国としての天の召命と共に、地の精誠として先代の日本人の犠牲と祈りが天に通じた結果であり、私達の今の犠牲と祈りが後孫の繁栄の土台となることを教えていただきました。


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先日、我が家の飼い猫(ゆず:7歳 雌)がネズミを捕まえてきて、家中大騒ぎになりました。

猫にしてみれば、ネズミを捕まえて得意げに見せに来たのかもしれませんし、褒めてもらいたくて捕まえてきたのかもしれません。

逆に衛生上の理由で家族から叱られて、何となくしょげかえってしまっているようでした。

そんな猫の姿を見ながら、人間の子育てでも同じような気持ちのすれ違いがあるのだろうと思いました。

子供にとって、親から褒められるだろうと思ってやったことが、逆に叱られることになってしまった場合に、その期待が大きければ大きいほど、受ける傷も深くなってしまうでしょうね。

子供の気持ちやその行動の動機を聞き理解してあげれば、間違った対処はしないと思うのですが、それでも「気持ちだけはありがたく受け取るよ」と素っ気なく言われると、期待はずれの分だけ、子供の気持ちも萎縮してしまうかもしれません。

自分の行為行動に対して、親から期待した結果が現われない時にその要因を探ると言う行為は子供には無理ですが、これを神様と人間との親子の関係で考えてみると逆に、親なる神様に期待した結果が目に見えて現われない時に、子たる人間としては自分の行為行動の基となる自分の心の在り様に、その要因を探ることが神様との繋がりを確認するための出発点になります。

そのスタート地点にも立てず、親なる神様に不平不満をぶつけるのは論外ですが、そのスタート地点から自分の心の姿勢などを探っていって、不純な動機や心情にたどり着いた時に、そもそも見返りとしての結果を求めている事自体の問題点に気が付くことでしょう。

無条件に相手に喜んでほしいという純粋な動機を、神様は天地創造のみ業において私達に示して下さっています。

無心に尽くし、無心に捧げ、無心に投入する、そんな姿勢が神様の子たる立場の私達の持つべき姿勢なのでしょうね。




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posted by とら吉 at 18:17| 東京 ☀| Comment(0) | み言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月05日

本日の礼拝

今や皆さんの先祖が協助するようになっています。以前は悪い先祖が子孫を利用したのです。しかし、今は善の先祖が降りて来て活躍できる時が来ました。それゆえに、皆さんは十字架を背負わなければなりません。氏族圏の十字架を背負って民族の代わりに蕩減し、国家と世界の十字架を背負って国家と世界のために蕩減するという人がいなければなりません。世界的理念時代に身を置くことが、国家と民族の希望でしたが、霊人たちは今まで高い位置に立てずに、どん底に押さえられているのです。しかし、世界的恵沢圏内で皆さんが十字架を背負って闘うならば、皆さんによってさっとすべて復活できるというのです。
そうすれば、平面的な立場で先祖代々に救援できる足場がすべて築かれるのです。それでこそ皆さんの一族の解放が起こるのです。私の話か分かりますか。何の話か理解できますか。
 善霊が降りてきて皆さんを協助し、先祖がみな協助するというのです。それで、皆さんも、以前は誰かが統一教会に反対すれば、冷や冷やして震えたりしたことがすべてなくなるのです。今からは天下が騒ぎ立てても、心は太平だというのです。心が動揺しないというのです。それはどういうことかといえば、既に時がそのようになったというのです。悪なる霊的な雰囲気が私たちと接することができないのです。
                      <天聖経p1001>



本日の礼拝の訓読のみ言です。

神様の創造理想はみ言によって実体化し、家庭に根付いて血統となって実存性と永続性を持つようになります。

しかし堕落によってみ言を失った人類は、サタンの偽りのみ言に従って家庭を作り社会と国家を作ってきたので、そこには永続性を持つ根拠がなく、時と共に泡のように消え去ってしまいます。

その失われた神様のみ言を真のご父母様が解明され、今年真のご父母様がみ言実体宣布をされることで、天福函という形で私たちの前に顕現しました。

天福函は契約の箱であると同時に、ノアの箱舟の内容をも意味しており、天福函の中にある八大教材教本のみ言は全人類を救う力があるので、まさに全人類を救いに至らせる箱舟であり、ノアが完成した箱舟に多くの人が乗り込むように人々に説いて回ったように、私たちも天福函にすべての人が繋がっていくように、すべての氏族の伝道に走らなければならないと教えていただきました。



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9月3日からの千葉中央修錬所での21日修錬会に長女が参加しています。

長女は21修に参加するには若干み言の理解等が追い付いていないのですが、参加する気になった時に参加させないと、今度はそのチャンスがいつになるか分からないので、思い切って参加させることになったわけです。

聞くところによると、最近の21修の参加者は一世よりも二世の方が多いそうで、青年伝道が進んでいないのか、二世がそれだけ増え広がってきたのか、その理由は定かではありませんが、私が青年時代に参加した21修での様々な出来事をつい先日の事のように思い出して、改めて自分がそれだけ年をとったのだと実感しました。

長女もこの21修に参加するために一旦仕事を辞めたので、それが長女自身の条件になって、何かしら霊的に獲得するものがあったり、み言に覚醒させられる事があればと親バカながら少し期待しています。

私たちには何の力もありませんが、天のみ言には人の生命を生かす力がありますので、み言に対する確信を持ちさえすれば、後は神様が役事して下さるに違いありません。








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posted by とら吉 at 13:51| 東京 ☀| Comment(0) | み言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

本日の礼拝

どうせ一生に一度は死にます。ですから、いくら恐ろしい暴風雨がたたきつけても、最後の峠を越えなければなりません。正しく進み、境界線の前で倒れてはいけません。皆さんは、このような境界線に立って何をするのでしょうか。皆さんは、統一教会に入ってくるにはよく入ってきました。皆さんの姿は、各自自分勝手な姿をしていますが、よく入ってきました。しかし、気をしっかりもって走っていっても最後までいくかどうか分からないのに、慌てたなら、行く途中でやめてしまうのです。最後の決勝点まで行き、境界線を突破しなければ勝利者になることはできないのです。
 人として生まれるのは、価値あることです。後ろから反対し迫害したとしても、関与する余地がありません。一歩一歩運命の道を経ていく人が、最後の境界線を越えることができるのです。皆さんは、そのように行かなければなりません。
                <天聖経p665より>


本日の礼拝の訓読のみ言です。

人間は堕落によって神様のみ言を失い、その後の人類の用いた言葉はサタンから出てきたものであって、不平不満や恨みに裏打ちされた言葉であり、失われた神様の言葉を取り戻すのが復帰のテーマでした。

堕落人間も家庭では本然の姿を求めようとするのですが、本然の姿を求めようとすると言葉を喪失してしまい、何を言っていいのか分からなくなってしまい、夫婦や親子の間での言葉が無くなり、家庭が難しくなってしまいます。

この失われた神様の言葉を取り戻す唯一のお方がメシヤであり、今回私たちの教会に安着した天福函は天地人真の父母様がその勝利圏を初めて実体化されたものであると教えていただきました。


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最近情報の共有化に関する諸問題が良く話題になっています。

デジタル化された情報は他者が共有する環境を整えることで、作業の効率も上がりますが、同時に手書きの文書では比較にならないほどの大量の情報が漏洩することもあり、その対処にハード面でもソフト面でも色々と手が施されていますが、それでも万全ではありません。

人と人とが情報を共有するのは意思の疎通を図るためですが、その出発点は言語であり、その後に文字が発明され、その文字を書き記す媒体が時代とともに開発されてきました。

文字もまた、その一字が何を意味するのかという決まりごとを、その部族なら部族の情報として共有することで、文字として成立しているわけです。

古来人間は各自の意思の疎通をいかに図るかという事に苦心してきました。

現代のようなネット社会になって、人種・文化・民族・宗教の垣根を越えて、情報を共有することが可能となり、それはまた世界的なレベルで意思の疎通が可能となっているわけですが、それはまた創造本然の世界で神様を中心として心情的にすべての人間がつながりを持った人類一家族世界の先行型であるようにも思えます。

先行型と言うと、「サタンが先行する」という言葉のように私たちは使いますが、例えば現存のイルカと良く似た魚竜がその先行型として中生代に存在していたように、神様もまた私たち人間に、あるべき本来の姿を疑似的に見せてくださる事があるようです。

デジタル化された情報の共有の次に私たち人間が目指すべきものは、神様を中核にして各個人の心情を共有出来るような社会の構築である事を、神様は見せて下さっているのでしょうか。

そう考えると、神様にも共有していただけるような、削除対象にならないような正統な情報を、自分自身の中にも積み重ねておかなければならないのだと思わされました。




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posted by とら吉 at 14:15| 東京 ☀| Comment(0) | み言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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