2013年03月04日

心模様

2月から清平40週に参加している次女から、久々にメールで連絡がありました。

役事チームでカードの練習をしていたのですが、3月2日からの171回清平40修では本番でカードを任され、無事にこなしているそうです。

人が少ないので朝夕の役事で任されているそうですが、3月14日まで清平に滞在して帰ってくる予定で、久し振りに会う時に少しでも成長している姿を期待しています。

昨日もブログに書きましたが、親子にしても、夫婦にしても、また上司と部下にしても、分かれと出会いをそれぞれの次元で繰り返しつつ、心の交流が深まるのでしょうね。

改めて考えてみれば40日間も外国に居るので、短期留学の様なものですから、本来の修錬としての内容は第一に取り組むべきですが、付随的に韓国語を習得してもらえればありがたいと思います。

また、40修にはウエスタンのメンバーも居て、フランス語を話す食口も居るので、フランス文学専攻の次女としてはここぞとばかりに話しかけてみたそうですが、ほとんど通じなかったそうで、ネイティブの発音に慣れる良い機会にもなるかもしれません。

様々な面で意味ある修錬会になりそうで、つい期待してしまうのは親の欲目というものでしょうか。




Ice Candle / onigiri-kun





大きな人事の影響で少し落ち着かない状況が続いていますが、今週中にはすべて落ち着いて新しい出発となりそうです。

出会いと別れに伴う心の動きは実に微妙で複雑ですね。

創造原理の正分合作用を思い浮かべると、物理的な形態の変化をまず思いつきますが、心情的な側面から考えると、一つに交わり交流していたものがしばらく距離を置いて、再び出会い交流するときに、神様を感じるほどに豊かな交流を成せるという事なのだと思います。

そしてその際にありがたいのは、分かれて距離をおいている段階において、時間の経過と共に記憶の余分な贅肉が削ぎ落されて、多少の痛みや苦しみも思い出の欠片になり、喜びの記憶が増幅されることでしょう。

真のお父様のみ言に、「過ぎてみればすべて愛であった」とありますように、人間の人生をより豊かなものにして下さろうとする神様の創造の妙味なのかも知れません。

そう考えると、人間創造の動機が愛そのものだと改めて感じました。






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posted by とら吉 at 20:41| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月03日

本日の礼拝

私は今、天正宮博物館から下りてきました。真のお母様から「今日はどうでしたか。良かったですか」と尋ねられたので、「良かったです。感謝します」とお伝えしました。第一部の式典で着られた衣装は、すでに何年も前に準備していたものでした。当時、突然「紫色の生地に雲の模様を金糸で刺繍した服を作りなさい」と言われました。それで、一生懸命に準備をしました。
 今回はすべてを成したという意味を込めて、清く美しい雲にしました。今日、真のお父様は、「雲は聖徒たちを象徴するもので、聖徒たちが真の父母様に侍る立場を中心として衣装を作るように天の父母様がされた」と言われました。私たちが見守る中で、真のお母様は本当にたくさんの涙を流されました。先程も会話をしながら泣き続けられました。その背後には真のお父様がいらっしゃり、真のお母様が成されたすべての内容と祝福家庭の実績をご覧になられ、真のお父様も涙を流して喜ばれる貴い祝福と恩恵の日でした。
 私たちは基元節と言いますが、基元節とは何でしょうか。食口たちの中には、「基元節は天運と天福が共にある日なので、基元節の後は仕事をしなくても受けた祝福で自動的に生活できる」と考えている食口もいました。今回なんと言われましたか。私たちを天一国民だと言われました。私たちの国は天一国です。天一国に今日から入ったのです。天一国民なのです。そうだとすれば、私たちはどのような生活をするべきでしょうか。基元節を向かえて天一国に入り、「本当に良かった」と喜ばしい面もありますが、そうではない面もあるのです。天一国民として生きれば福を受けますが、そうでなければ蕩減が伴うのです。基元節を迎えて、自動的に天運と祝福を受けて生きられるというのではなく、もう一度しっかりと身を引き締め、心と体を再定立して整理整頓し、歩み一歩一歩に、言葉の一言一言に注意しながら、「サタンや悪が讒訴しないだろうか。果たして天一国民として、相応しいだろうか」と自分を点検しながら、真の父母様が今まで下さったすべての御言を中心として、天一国の中で生きなければならないのです。そうしなければいけないのです。これまで堕落性を持って生きてきたとすれば、御旨の中で一生懸命できなかったとすれば、それをもう一度考えながら生きていくようにしてください。
<大母様 日本責任者集会の御言 抜粋>


本日の礼拝の訓読のみ言です。

本日の礼拝は教会長様の離任特別礼拝と成りました。

全国的に大きな人事がありましたが、環境が変わる時こそチャンスであると強調しておられました。

またこれからの7年を歩み抜いていくために、土台作りと体力作りが必要であり、体力は肉体的な体力のみならず、内的な体力、み言や精誠の体力が必要であると教示して下さいました。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

出会いと別れは人生につきものですが、その都度記憶に深く残るような思い出を一つでも刻みつけておきたいと思います。

その思い出の積み重ねが、霊界に持って行くお土産のようなものですから、地上生活での人と人との触れ合いが、何よりも重要なのでしょう。

霊界を見据えた地上での心と心の触れ合いを意識しつつ、良い思い出を積み重ねていきたいものだと思うのです。






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posted by とら吉 at 18:12| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月01日

春の風

3月になりました。

関東は春一番を観測したという事ですが、確かに強風の吹き荒れる一日でした。

春風と共に花粉も大量に舞いあがっているようで、マスクの欠かせない人が街中に見受けられます。

幸いにも私は花粉症ではありませんが若干アレルギーがあって、油断していると忘れた頃に発症するかもしれませんので、意識はしておきたいと思って居ます。

最近年齢と共に物忘れも多くなってきたようにも思いますので、物忘れついでに花粉症の存在そのものも忘れてしまいたいものですね。

最近はさらに中国本土から黄砂とともに、有害物質が大量に飛んできているようですから、気を病む事が加重されているようで、スモッグで見通しの悪い北京の街並みの映像などをテレビで見ると、それだけで胸苦しくなってしまうのは私だけでしょうか。

黄砂の一粒一粒が、尖閣諸島を荒らしている中国の艦船の形に見えるような、嫌な悪夢を見てしまいそうです。




春風萬里荘 / yellow_bird_woodstock



ところで昨日のブログで、老いは誰にでも来ると書きましたが、それを見た知人から老いに絡む短歌を教わりました。

   もの忘れ またうち忘れ かくしつつ 生命をさへや 明日は忘れむ

明治の歌人、太田水穂の一首だそうで、物忘れが顕著になってきて、そのうちに自我をすら忘れて、ただ生きているだけになりそうだという危惧でしょうか。

この歌の生命は単なる生物としての生命ではなく、人間としての自我あるいは尊厳性を含めての生命だと思われます。

高齢者に対しても、その個人としての尊厳性は損なわれないように配慮すべきでしょうね。

人間の個としての尊厳性の源は、神様から見た個性真理体としての認識に基づいているに違いありません。

個人においては神様の存在を認識しない限り、老いに伴う自我の喪失や尊厳性の喪失の危惧から抜け出すことは出来ないでしょう。

また、社会においても高齢者の尊厳性を損なう様な社会構造は、そもそも神様の立てられた原理と法度に反するものだと言えるでしょう。

どのような個人であっても個性真理体であると言う認識こそは、今の世の中に必要なのだと思うのです。









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posted by とら吉 at 21:11| 東京 ☁| Comment(0) | 信仰的考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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